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  • ATELIER HAYATO NAKAZAWA

僕らの輝ける未来を創造するために。勝手に好きな作家紹介4 エゴン・シーレ『私に才能はありますか?』

更新日:2023年3月14日


シーレ: 『私に才能はありますか?』

クリムト:『才能はありますかだって?ありすぎだよ君ぃぃぃぃぃぃ!!!!』


出会ったばかりの頃のシーレとクリムトの実際の会話だそうです。言い方は多分もうちょっと上品だったと思いますが(笑)


あの大ベテラン、グスタフ・クリムトから君才能ありすぎ!(too much ! !)認定されるなんてすごいですね、シーレは。 最後はスペイン風邪で28歳で亡くなってしまうのが非常に残念ですが、生きていたらどれだけすごい作品を後世に残しただろうと想像してしまいます。 仮に私がクリムトに『私に才能はありますか?』なんて聞こうものなら、


『失せろっっっっっっっっ!!!!!!!』


とか怒鳴られそうな気がします(笑)


そんなクリムトとシーレ、と、その周りにいた才能があんだかないんだかよくわかんない人たちの作品が展示されている『レオポルド美術館エゴン・シーレ展』を先日観てきました。シーレ展が開催されるのは日本では実に30年ぶりだそうです。私も物心ついた頃以降にこんなにまとめて作品を観る機会はなかったので期待大でした。



シーレの絵はいつも線が歪んでいたり、ぐにゃぐにゃしていて、めちゃくちゃかっこいいけど実際デッサン力ってどうなの?なんかセンスでいい感じに見せてんじゃね?とか思っていたのですが、初期のデッサンとかも結構あって、観て思ったのは『シーレさん…マジすいませんでした!!!』ということでした。最初からシーレ、めっちゃうまかったです。



なんか眼球とかほっぺの張りとかさささっと描いてて超うまっ!!!!って感じでした。


シーレは少女誘拐の容疑にかけられたり(実際そういう年齢の人をたくさん家に入れていた)ポルノ公開罪で禁固刑になったりしています。 28年の短い生涯でしたがスーパースキャンダラスな人生を送っています。描く絵も裸婦とか卑猥なポーズの絵とかたくさんあります。 でも作品がいいとそれらのスキャンダラスなことでさえストーリーの一部として扱われ、それが彼を引き立てたりしています。 もし仮にシーレがボンクラ画家だったら、ただのウィーンの変態夭折男として近所の人にしか語られることもなかったでしょうが、そこはシーレさん、やっぱり仕事はきっちりこなします。


会場にはいろんな画家がとりあげられていたのですが、その中でもやはりシーレは際立っていました。有体に言えば才能があるというのはこんなにも顕著に出るんだと言う感じで、他の展示されていた刺身のつまみたいな人たち(失礼)だって美術館に収められるくらいなのでみんなすごいはずなんですが、やっぱりサッカーで言えばメッシみたいな人が一人いると、もうその他の人はその家族じゃない限り殆ど試合中はボール持ってないと誰も見ないみたいになってしまいました。 そう考えると、今回展示されていた周りの人も、実際歴史の過酷な競争を勝ち抜いてなんとか美術館に収蔵されるまでになったのですが、そうじゃない私を含む数多の世に存在する画家たちは、もうスーパーの陳列棚にさえ並ばせてもらえない加工食品としてよくわかんないレトルトカレーの具材としてパックに詰められながら細々と生きていくしかないんでしょうか…?


そんなことをシーレ展を観ながら思いました。


え?え?でも政府が公表する議定書には『子供の自由な個性を尊重して、一人一人が輝ける未来を創造する』って書いてあったじゃないですか?輝ける未来を信じて今日まで頑張ってきたんですけど?勉強を頑張って悪い人とも付き合わないで、ちゃんとしたいい学校に入って、いい会社に就職したのに、、、どうなっちゃうんですか?僕の未来は…???


仮にそんな誰もが輝ける未来が実現していたら、昨今の電気料金の値上げなど起こるべくもなく日本中がとっくに個性の光で照り返っていると思います。そして世の中には個性ある人が溢れすぎて日本の国土はとっくに彼らの作品を収蔵する美術館でいっぱいになっているでしょう。


しかし税金で建てられた美術館の量が現在も永遠と作り続けられる高速道路の量よりも明らかに少ない現状を見ればわかるでしょう。生み出されているのは個性じゃなくて選挙には行かないけど粛々と税金は納めてくれる没個性の人々だったんだって。そして日本で最も個性的な能力を発揮している人とは、不倫や不祥事でニュースに取り上げられる度に驚天動地な弁解コメントを述べる政治家の方々ではないのかと個人的には思っています(笑)


二人でホテルに入ったのは? 『…ちょうどいい場所がなかったので、仕方なく中で会議をしていたんだ。』


『一線は、、、、超えていません。』


この国の政治家は創造性豊かすぎる方々ばっかりです(笑)


いつものように話が脱線しましたが、シーレの話に戻りましょう。


政治家に負けず劣らず(それもどーなんだ?笑)スキャンダラスまみれなシーレですが、その才能は超一流でした。

早々にクリムトに才能を認められ、多くのパトロンがつき、さらに溢れんばかりの魅力と狂気で女性のハーレムを囲い込み…才気煥発個性のエネルギーが爆発しています。個性がある人とはこういう人を言うんだと思いました。







切り裂くような線から聞こえる自我の叫びは、装飾性をはるかに超えひとつの真実の記録として胸に迫る

奈良美智『エゴン・シーレ ドローイング・水彩画集』より


なんだかんだ言っても本当にそこには切り裂くような緊張感があります。そして彼の絵は本当に一線を超えています(笑)


クリムトのようなアール・ヌーヴォーや象徴主義的な工芸品を思わせる奢侈な美しさとは違う、危うさと張り詰めるような緊張が漂っていました。


21歳でこんなかっこいいこと言うんだ、、、という。21歳の頃の自分とか『めっちゃかわいい子と付き合いたい』とかそんなことばっか言ってた気がするんですが…(笑)


そしてシーレの絵を見ていつも思うのは名前の位置とデザインがめっちゃくちゃかっこいいということです。特に昔の日本画などだとなんとなく右下にすごい綺麗な字で魂込めて自分の名前を書いて落款押して完成みたいな感じですが、シーレの名前はそれも絵の構成要素の一部のように扱れています。

そういうのが自信があって俺がいいと思えばそれがいいんだ!的な強さを感じさせています。そして実際に彼のサインはカッコいいんです(笑)






有り余る個性とエネルギーで自身までもが燃え尽きるように最後は28歳で(スペイン風邪で)亡くなってしまいますが、仮にシーレがもっと長く生きていたとしたら、どんな素晴らしい作品が残ったのだろう?と想像してしまいます。でも同時に、その後被害に遭う女性もどんだけいたんだろうと想像すると昨今のコンプライアンス的にはまぁ良かったのかもとも思ってしまいます(笑)

今展覧会を見ている間中、私の頭の中ではずっと『才能』という言葉が頭をよぎっていました。あまり物事を簡単に才能といった言葉で片付けたくはないのですが、そうとしか言いえない魅力のある人がいるのだということを、まざまざと突きつけられる展覧会でした。 仮に神様がいて『今からあなたに好きなものなんでもあげますよ?』(ちなみに私は一昨昨日誕生日でした。)と言われたら、私はお金よりも名声よりも何よりも才能が欲しいと答えます。


シーレ展を見て自信と自分の座標軸を見失いそうになった方は下記をぜひ参考に。


でも、大丈夫。


才能がなくったって、お金がなくったって、全く人生にいいことがなくったって、


何もかもが失われても、


未来だけはまだ残されていますから!!!


そんなエールを送りたくて、私はいつも文章を書いています。


読んでくれた人に対してではなくて、他でもない自分に言い聞かせるために!!!!(笑)


ハッピーバースデー to me.


美術作家として37年目の人生を始めよう。


左から、才能のある奴が描いた絵。中央、才能のある奴。右、才能が欲しくてたまらない奴。

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