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  • ATELIER HAYATO NAKAZAWA

ゲルハルト・リヒター、90歳の水彩画はこんなにもいい。

更新日:2022年7月20日

WAKO WORKS OF ARTという六本木のギャラリーでゲルハルト・リヒターの最新ドローイングと20代に作られた版画の作品が展示されています。国立近代美術館でも現在リヒターの大規模な展覧会が行われていますがこちらはリヒターのドローイングに焦点を当てた展覧会になります。



2017年を最後にリヒターは油彩画を描いていません。


体力的なものなのか思索的な要因によるものなのかはわかりませんが、佐藤忠良(日本の有名な彫刻家)も晩年は彫刻を作らずスケッチなどに専念していたようです。


美大に行っても卒業後に絵を続ける人は1-2割と言われています。


大体みんな5年も6年も毎日やっていたら飽きると言います。 それでも何十年も続けていく人は本当に好きで好きで仕方ないのか、やむに止まれず描いてしまうか、そのどちらかな気がします。 そしてリヒターの絵を見ていると、リヒターは間違いなく後者であるように思います。


リヒターはドイツ出身の画家でドイツが東と西に分断されていた時代を生きていました。ある時東ドイツから西ドイツへ移ったときの衝撃は途轍もないようだったものです。


そこで見た自由主義による最新のアートはこんなにもイデオロギーを孕んだ当時の東ドイツの芸術と違うのかと。


そして2回の大戦を経験して、その中でのドイツの立ち位置が大きく制作作品にも反映されています。領土侵攻と敗戦、アブストラクトペインティングの代表作『ビルケナウ』に結実するナチスの行いに対しての思いなど。


そう言った切実さが作品にはあります。





ゲームでも、陸上でも、仕事でも、ある地点を越えるとそこから先の成果を得ようとすると、費やした労力に対して得られる結果は累進課税制度によって削られる給与のようにどんどん小さくなっていきます。


例えばロールプレイングゲームなどでレベルを1から30まで上げるのは、それなりの回数を戦えばすぐに上がるのでそこまで大変ではありません。 しかし、レベルを90から91まで上げるには、たった「1」レベルを上げるだけにも関わらず1から30まで上げるのと同等か、それ以上の努力が必要になります。 ましてやレベルを90から99まで上げるとなると『永遠』という言葉はこのレベル上げの難易度を表すために作られた言葉なのかと思えるくらい全く上がりません。 正直自分だったらある地点までレベルを上げて「ゲームクリア可能」と判断したらそこでレベル上げはやめてゲームクリアにすぐ舵を切ってしまいます。 でも、世の中にはゲームをクリアしているのにレベルを99まで上げなきゃ気が済まないヘヴィーゲーマーがいます。

すでに数百億を超える資産があるにもかかわらず、溢れる出る石油以上に欲望が溢れ続けるアラブの石油王が中東のどこかには存在します。 陸上で言えば、どんなに時間と労力を費やしても人間が新幹線より速くなることはありません。新幹線なら数十年の努力があれば今より時速を数十キロ速くすることも可能でしょう。しかし人間の縮められるタイムは、カール・ルイスの出現以降も数秒を縮めるのが限界です。それでも、短距離走者はそのわずかばかりのタイムを0.01秒でも縮めるために血の滲むような努力をしています。 彼らはもはや「ゲームクリア」「金持ちになる」「新幹線に自分がなる」などが目的なのではなく、レベルをマックスまで上げる、預金残高の限界を超える、誰よりも速く走る、そこに命をかけそれを達成することが『命題』であり、そういう人がやむに止まれず『やってしまう人』なのだと思います。


会社の人事が算出した計算によると、この待遇で今後仕事を受けていただければ年収が現在の約3.3倍になります。ただし、肉体にかかる負担は現在の5.5倍、精神的負担は約13.6倍になるとの試算が出ていますが、それでもやる気はありますか?

一昔前に『モーレツサラリーマン』という言葉が流行りましたが、彼らがこれを聞いたらなんと答えるでしょう?答えは1+1より明白です。


齢90歳のリヒターが今もこんなにも旺盛に作品を作っている。それは単に「絵が好き」などでは説明できない命題を背負って描いている。そんな圧力をこの小さな水彩と鉛筆の線が交差する宇宙の中に感じました。


会場には当時25歳だったリヒターの版画も展示されていました。東ドイツから西ドイツにわたる数年前に作られたものだそうです。共産主義政権下から資本主義社会への移行はどういった気分だったのか、当時の暗雲たる雰囲気を感じます。



ドイツの哲学者、音楽家、作家、詩人にはとにかく重く厳格な雰囲気が漂っています。カント、ヘーゲル、ハイデガー、バッハ、ニーチェ、キーファー、ヘルダーリン、とにかく重いしハードです。 そしてその仕事には誤魔化しも隙もありません。


でも、世の中には、


『自分はこんなにハードに仕事をしてるんだからそんなんにたんまり税金は取られたくない!でも稼いだお金はきっちり欲しい!レベルアップもしたい!いいものも作りたい…!!!』

そういった欲が湧き上がるものです。 そして、そういった欲が出てくる時に現れるのが、悪い人たちの必殺裏コマンド、三種の神技『脱税』『盗作』『強制バグを起こす』になります。


言わずもがな全部犯罪です。


これらはもちろん全部ダメなんですけど、こう言うところに人間の業を感じます。


仮に世界中の人が全てドイツ人だったら、世界は今より確実に厳格で厳密な世界になると思いなます。脱税の割合もいくばくかは少なくなるでしょう。世界中の電車の到着時刻もほぼ時刻表通りになると思います。窓の隙間風もきっと少なくなるでしょう。 しかし、その世界はちょっと息苦しい気がします。 「人生100年時代」と言われる現代において仮にそれが実現したら、週5でマッシュポテトとソーセージを食べる生活がきっちり100年続くことになります。厳格で厳密とはそういうことです。さすがにそれはキツイでしょう?


いいかげんな人ばかりの世界も嫌だけど、あまりに硬いのも疲れてしまう。 適度な「隙」と「ギャップ」がモテの秘訣だとネットの広告に書いてありました。

お金持ちが芸術作品を手にしたがるのはなぜか? それはお金で他人の時間を買っている。極端に言えば決して手に入らない「永遠性」を手に入れているのではないかと思います。


作品とは制作者が作品をそこに存在させるために費やした時間と労力、その期間を結晶化したものであり、それを保有すると言うのはその作者の人生の一部を切り取ったようなものです。

複製ではない、世界にたった一つの本物の作者が費やした時間と思索の結晶。


リヒターの作品が手に入るなら欲しい。その晩年に当たる作品が今、目の前にあってそれを自分が保有できたとしたらその気持ちはどんなものなのか。


そんなことを想像しながらリヒターの作品を見ていました。


だんだん自分の年齢が上がってくると、残りの人生の時間の使い方を考えます。その残された時間をどう使うか、どんどん時間の価値が貴重になっていきます。もう私たちには悩んでいる時間はないのです。

絵を教えていると、とかく手が止まる人が多く、確認をとり、指導者からの「大丈夫」との了承がないと実行に移せない人が思いの外多いです。失敗への不安がそうさせるのだと思います。


しかしページをめくれば新しい真っ白なページが待っています。キャンバスだって新しく買うこともできます。失敗してもいくらでも取り返しはつきます。 だけど時間だけは買うことができません。


まずは動くこと。


どこまで行けるかを知る方法はたった一つ。 出発して、歩き始めることだ。

アンリ・ベルクソン



考えている時間があれば行動に移せ、そう言われているようでいつも心に浮かぶ、偉大な哲学者の好きな言葉です。


とにかく行動を起こすこと。


…まぁ、少し冷静に考えると言っていることはびっくりするくらい当たり前のことなのですが。


言い換えればこんな風にも言えてしまいます。


西荻窪から新宿駅に行く方法はたった一つ。 西荻窪の駅でチケットを買って、電車に乗ることだ。 

中澤隼人


リヒターの作品を見てその厳格さに触れたとき、最も思ったことはこんな風に私は「厳しく」も「知的」にも生きられないなということでした。

ドイツに敬意を表して買ったのですが、実はビールは「ドイツビール」ではなくチェコのビールだと自宅に帰って気づきました。 (字体が似ていたのでこれでいっかと思ったのが間違いでした) こういった詰めの甘さが、厳格で厳密なゲルマン民族になれない私たち日本人の所以なんだと思いました。(勝手に一緒にすんなと一億人の声が聞こえそうですが) この後、マッシュポテトを作り、マスタードとケチャップを引いた白いプレートの上でリヒターのアブストラクトペインティングのスキージー(絵画用ヘラ)の如く思いっきりソーセージを引っ張ってみました。





アブストラクト・ブレックファースト。(チェコビール付き) 90歳の私は、多分今と寸分違わずふざけているんだと思いました。

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