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  • ATELIER HAYATO NAKAZAWA

《熱量》亀山トリエンナーレ2022 ①

不動産でよく『駅徒歩6分』とか書いてあったのに、実際歩いてみたら10分以上かかって、この記録係の人『競歩世界チャンピオンなんじゃないの?』っていうようなことあったりしませんか?どう考えても早歩きでなんとかなる誤差じゃないだろっ!ていう数字の誤差で、これは丸の内とかにあるやたらおしゃれなお店の恐ろしく簡略化されすぎててわかりにくい地図を見て目的地に辿り着けない時にわく苛立ちと似た感覚です。

地元の人でもわかんないであろう簡易おしゃれ地図作例。


先日三重県の亀山という地方で展覧会があり、そちらに作品の搬入、および搬出で2回ほど三重を訪れたのですが、私が宿泊したホテルの『アクセスページ』には駅から『タクシー 約6分』て書いてあったのに、なぜかホテルが運行しているシャトルバスの時刻表だと、駅からホテルまでの到着時間が十数分かかる設定になっていて、嫌な予感を抱えて実際にタクシーで走ってみたらやはり15分強かかりました。


タクシーに乗って荷物を置くために国道沿いの田舎道を走っていると、地方都市特有の突如畑のどまん中にホテルが現れるという現象はどこも変わらず健在で、こういうのを見るたびに人の少ない地方に来たんだなと、ホッとします。

三重にこの『南国テイスト』といういびつ感がなんとも言えません。


バブル当初は滝から水を大量に流して豪華でイケイケな雰囲気のはずだったと思うのですが、今では経費節約のためか完全に水はストップされ、かつての滝は錆だらけになっていました。またランダムに配された植物も途中から機械のヤシの木になっていたりして、そこかしこに見え隠れする『徹底されていない感』が地方独特の頑張りきれなさを象徴しているようで好感が持てました。


そしてこの理不尽、この唐突性こそはまさに現代アートだと、地方都市のトリエンナーレ出品作家のどの作品よりもかなり強烈に思わせてくれる、そういった意図せずでき上がってしまった『ズレたコンセプト』に感動を抱くのと同時にホテルのアクセスのやっぱり感が相交る中、私のトリエンナーレは始まりました。

見渡す限り、空と田んぼでした。確かにこれはやることないっすね…。


コロナの影響で本来2020年に開催だった亀山トリエンナーレは2年の延期を経て実質5年ぶりにようやく今年開催する運びになりました。


2年前に初めてこの駅に降り立った時、恐ろしく廃れた駅前の印象と駅前全てのお店のシャッターが閉まっているのを見て、思わず降りる駅を間違えたかな?と、かなり本気で思ったことを思い出したのですが、この2年の間に中国の都市開発並みの速度で駅前は整備され2年前とは全く違う雰囲気になっていました。

元々は地域おこし的なことからこう言ったトリエンナーレは始まったものですが、とにかく地元の人たちの「やろう!」という強い熱量がなければこういた芸術祭は長く存続できません。この亀山トリエンナーレは作家が実行委員を兼任していたり、めちゃくちゃ代表の人から毎日メールが届いたり、実行委員代表の人の携帯電話の番号と家電の番号が普通にチラシに印刷されていたりと至る所に地方感満載なところが素敵でした。

展示会場を決めるにあたり、2年前の最初のオリエンテーションの日に全作家が各 会場を案内され、自分が展示したい場所で立候補して場所は決められます。

オリエンテーション風景


ちなみに、その辺の中古のお茶碗を一個適当に置いたら勝手にカッコ良くなってしまうような重要文化財が市街にはいくつかあって、そこがいいなと思ったらそこは地元のシード権の作家が使うことがすでに決められていて、東京のどこの馬の骨ともわからないやつにはそんな良い場所は貸してもらえないようでした。 地方都市の結束度半端なかったです。

文化財内部


で、私が借りた場所は旧呉服屋の店舗一角でした。 貸主の都合でお店の扉は施錠されていて会期中も中には入れないと言われていましたが、あえてそれを利用した作品を作ろうと思ってこの場所を貸して頂きました。

イメージとしては伊勢神宮の「立ち入れない神聖な場所」がテーマでした。


普段は画廊でも美術館でも基本的に真っ白の壁に絵を掛けるということがほとんどだったので、こういった場所でのインスタレーション的な試みは初めてのことでした。普段やっていることを繰り返してばかりいても仕方ないので、こういった新しいことを試すために今回このトリエンナーレという催しに出品しました。そして自分がこういうことをすると他の人の作品を見るときなども見る部分が作品だけではなく、設置の仕方や照明の当て方などに意識がすごく向くようになります。


作品を作るときは基本的なコンセプトをまず決めます。文章にしてみたり、ドローイングを作ってみたりして、どういうイメージのものを作りたいのかを具体的な形になるように少しづつ浮かび上がらせていきます。

たまに何かを思い出して全く関係ないことも書きます。 (ガムテープ買う、とか 笑)


今回はただ絵を描くだけではなくて空間全体を使った作品作りだったので、それに合わせた設計をしなければならず、考えることが普段の3倍くらいあるように感じました。

今作品ではまず初めに滲みどめをしていない和紙に顔料を表と裏から刺していきました。

この作業が終わると全体に滲み留めのドーサという液体を全体に刷毛で塗っていきます。

ドーサを引いています。


これが終わったらパネルに和紙を張り込みます。 ここまででやるともうなんか作業量的に完全に『やり終えた』ような気分になります。まだ一切制作は始まってないのですが。

作品の締め切りがここから約一ヶ月後でした。もっと早く始められればいいのですが、アイデアがでないときはどうにもなりません。頑張ろうが何をしようがアイデアが出ないときは出ない、アイデアの便秘状態です。


こういう抽象的なものは具体的な形が目の前にあるわけではないので、息詰まったらまたエスキース用紙などにイメージを書き直したりして、イメージが持てたら本画に戻ります。地図がない道を進むようなものなので、何度もコンパスや座標軸などと照らし合わせてこのまま進んでいいのかを確認します。

最後の数日は、心の底から『もう終わらせるのマジ無理なんですけど・・・』とか思うのですが、ここで止めるともっと大きなことが倍返しどころじゃない規模で返ってくるので、その恐怖からとにかく考えずに死ぬ気でやり遂げます。こういう時の自分は、目の前に人類史上最強最高の絶世の美女が出現して自分を誘惑してきたとしてもガン無視できる自信があります。

搬入トラック到着60分前、梱包の準備を開始します。


毎回これが100パーセント問題ないという作品ができたということはほぼなくて、特に時間が経ってから見返すと色々直したいところだらけなのですが、描いているときはそんなことを気にするよりもとにかく出荷しなければならないという命題が大きすぎてそれらを考えている余裕がありません。


ようやく作品を出荷して翌日から三重県にいき設営が始まります。


作品の発送直後、家主に三年ぶりに確認の電話を入れました。


『明明後日(しあさって)に亀山トリエンナーレの搬入を行わせていただく中澤ですけれども…』 家主:『は?意味がわからんわ』 中澤:『え?』 中澤:『いや、三年前に…』 家主:『は?おたく、誰や?』 中澤:『いや、ですから前にお会いした…』 家主:『前に会った?ん?ああ、アートの、、あれか?トリエンナーレ言われてもようわからんかったわ』


散々実行委員会からメールが届き街の人にも通達がいっているはずなのですが、搬入前の電話からかなり嫌な予感がしていました。


東京での制作を終えて、三重県での展示当日の行程を自分の中で何度も反芻します。時間が無尽蔵にあるわけではなく、かなりタイトな時間の中で設営をしなければならないため、一切の無駄が出ないように綿密に作業行程を決めておきます。 私たち作家に与えられた設営時間は計2日でトータル15時間くらいでしたが、正味10時間前後と考えて作業するつもりでした。


しかし三重の展示会場を訪れて、設営開始1時間くらいが過ぎようとしている頃でした。


『絵を飾るだけなのに、いつまでかかるのやぁ??あぁぁっぁぁーーー!???』

血相を抱えた家主に言われました。


『いや、残り14時間くらいあるはずなんですけど…』


なんて言えるはずもなく、すいません、もうほぼ終わってます(実際は2割くらいしか終わってない)と言って適当に誤魔化しました。

正直これ以上作業を続けると殺されてしまうのではないかというくらいの血相だったので、初日の作業をここで終え、なぜか現場に来ているのにそこから道具を全てホテルまで運んでホテルの中でひたすら作業を進めました。

もう、本当泣きそうでした、、、。


そして2日目、かなり細かく作品プランについて説明し、どうしてもあと数時間は必要であることを伝えるとなんとか多少の猶予をいただけて(めっちゃ怒ってたけど)午後2時くらいに作業が無事終了しました。隣の建物では深夜まで作業していたり、なぜか文化材の中の方々は一週間以上前から設営ができたりして、不平等感半端無いだろとか思いましたが、人生と一緒で平等なんてあり合えないと無理矢理こじつけて納得することにしました。

展示完了時の写真


亀山②へ続きます。

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