• ATELIER HAYATO NAKAZAWA

ゆっくり、じっくり、を嗜む絵画

最終更新: 2020年9月14日



日本画を描くということは全般的にいって非常に時間がかかる作業です。

まず和紙をパネルに張るにも事前に糊を作っておいたり、和紙の裏に補強のための和紙を貼ったり、絵具をくっつけるための膠を前日からふやかしておいたり…と、作品を『描く』状態に至るまでに色々な作業が必要になります。もちろん省略していけることもあるので、糊を市販のものにしたり、和紙の裏に貼る補強用の薄い和紙もすでに貼られた状態のものを使用することも可能です。

ここでお伝えしたいのは手間をかけなければ日本画は描けない、ということではなく、手間をかける作業を楽しめるかどうか、ということです。

現代の社会の中ではとにかくスピード、生産性が重視され日々非常に慌ただしく過ぎていきます。そのような中でなぜ時代に逆行するような手間暇のやたらかかる日本画を描くのか?

個人的な考えとしては社会のスピードが今後も加速すればするほど、その対極にあるようなものは振り子の原理の様に貴重になり、それらを楽しむことの需要は絵に限らず高まるのではないかと思っています。

例えばお茶の文化について考えると、常に自分の命が狙われる危険を感じながら生きていた

戦国武将がこぞってお茶を嗜み、命を守るための刀を置いてまでそれらを行う理由も同じではないでしょうか。日々戦いに勤しむ中で、僅かばかりの時間でもそのような状況から解放されることがある種のリフレッシュになったり、また政治的な会合の場として日常の物理的な戦いではなしえない豊かさを用いる場としても活用されていたと思います。現代において芸術全般に人がたずさわるということも同様の作用をもたらしているのではないでしょうか。

デザイナーの深澤直人氏がそのようなことについて、「ふつう」という本の中で次のように語っています。

生活全体をゆっくりにすることは難しいと思う。それよりも速度を緩める時間を一日の中につくる。その時間は、時間を失うのではない。むしろ、その時間が心の糧になる。ほんの少しの、何の変哲もない「ゆっくり」の時間がつくれるようになると、今まで聞こえてこなかった鳥の声が聞こえるようになる、多くのものは必要なくなってくる。「ふつう」がいいものだ、と感じられるようになる。本来の自分に戻れたような気がするのだ。

(深澤直人「ふつう」より)


アトリエで絵を描く目的も、究極的にはこのようなものであり、日常の中のリズムを整え、

自分の中に良い作用をもたらすためのものとしてもらえればと思っています。